DABO(ダボ、本名:芦田 大介〈あしだ だいすけ〉、1975年1月6日 – )は、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのMCとしても知られる。千葉県出身。

来歴
学生時代にアメリカのヒップホップに夢中になり、17歳からラップを始める[1]。1995年頃、DJ HAZIME、SUIKEN、KEI-BOMBらと「CHANNEL5」というグループを結成。1997年、SHAKKAZOMBIEの楽曲「共に行こう -version pure-」に、 GORE-TEX、SUIKEN、MACKA-CHINと共に客演。1999年、初のソロ名義の12’inchシングル「MR.FUDATZKEE」 をインディーズレーベルRealty Recordsから発売。
NITRO MICROPHONE UNDERGROUND〜Def Jam Japan
2000年10月7日、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのメンバーとしてアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』をReality Recordsより発売。同年12月27日には同アルバムがDef Jam Japan設立後初の作品として再発売される。その後、第1号アーティストとしてDef Jam Japanと契約。
2001年6月13日、ファーストアルバム『PLATINUM TONGUE』発売。同アルバム収録曲の「レクサスグッチ」が映画『ワイルド・スピード』日本公開版のエンディングテーマに採用される。その後全国20都市ライブツアーを開催。また、CHEMISTRYの川畑要と、KAWABATA and DABO名義でアナログ盤「BROTHERHOOD」を発表。CHEMISTRYのファーストアルバム『The Way We Are』にも収録された。
2002年9月25日、2ndアルバム『HITMAN』を発売。全国31都市ライブツアーを開催。同時期にBoA、SUITE CHIC、LISAなど多くのメジャーアーティストの作品に客演。2003年12月24日、3rdアルバム『Diamond』を発売。エミネムを手がけたサウンドプロデューサーTOMMY COSTERからなるプロデュースチーム327、BL、餓鬼レンジャーのGPらがプロデューサーとして参加。その後、3度目の全国ツアーを開催。
BABY MARIO PRODUCTION〜EMIミュージック・ジャパン[編集]
2004年にレーベル「BABY MARIO PRODUCTION」を設立し、11月10日に同レーベルからミニアルバム『6Bullets』を発売。2005年6月8日にはMACKA-CHINとのユニットMABOのアルバム『デラコスタ』を発売。2006年にEMIミュージック・ジャパン傘下のレーベルCapitol Musicと契約し、2月15日に4枚目のアルバム『THE FORCE』を発売。客演が一切無しの作品となった。また、社会や若者へのメッセージを含んだ内容の歌詞が多くなった。
2007年2月21日、全曲客演のコンピレーションアルバム『DABO PRESENTS B.M.W.vol.1 BABY MARIO WORLD』を発売。KREVA、ZEEBRA、MURO、PUSHIM、ANARCHY、SIMON、COMA-CHI、TARO SOULなどが客演。2008年2月1日、ブログ『PAPER MOON MAN』をアメーバブログより開始。2009年1月28日、ベストアルバム『I’m The Best』を発売。自身の楽曲以外にも、他のアーティストに客演した楽曲も含んだベスト盤となった。
2010年11月3日、4年ぶり・5枚目となるオリジナルアルバム『HI-FIVE』を発売。
FEEL NO PAIN
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙に出馬した山本太郎の高円寺での街頭演説にDELIらと共に登場し、自身の楽曲「拍手喝采」、「デッパツ進行」などを披露[2]。
2014年7月13日、Dabo & Macka-chin & Suiken & S-word名義でシングル「東京弐拾伍時」をManhattan Recordingsより発売[3][4]。同年10月1日には、レーベル「FEEL NO PAIN」をDJ YAKKO、DJ SAATと共に設立。2015年5月に2000年代初頭のアメリカのヒット曲を日本語でカバーしたアルバム『DEEP COVER – Mixed by DJ SAAT』を発売[5]。同年、MACKA-CHIN、SUIKEN、S-WORDと共にユニット東京弐拾伍時を結成[6]。
人物
身長は171cm[7]。姉がいる。学生時代は、現代文と英語が得意であった。家族からの呼称「ダイ坊」を縮めて「ダボ」としたのがMC名の由来。DABO以前には、Q-TIPが好きだった事からQ太というMC名であった。 別称(a.k.a)はMr. Fudatzkee(フダツキー)、札月、DABO DA MARIO、フダ画伯[要出典]など。兎年生まれである事をしばしば歌詞でアピールしている。イラストを描くことを好み、スペースシャワーTVで放送されている第三会議室にゲスト出演した際にはホワイトボードに絵を描いていた。絵を描く時はフダ画伯というネームを使用している。2012年から、高円寺の洋服屋「RUGGED」でアルバイトをしていたが、2014年10月を以って卒業となった。[8]。2018年4月一般女性と結婚。